アナーキー

ちょっと今日はトーンを変えて書いてみる。

最近講義をしていてつくづく思うのだけれど、僕たちはなんて狭い世界に押し込められてしまっているのかなあと思う。 

インターネットやTVで、すっかり世界を知った気持ちになってる。
確かにインターネットで情報は確実に増えて、生活は便利になった。それはとても素晴らしいことだよね。

だってたったワンクリックでモノやサービスを手に入れることができる。こんな恩恵はとてつもない快楽を僕らに与えてくれるから。

でも、ここからがポイント。
「ネット上にある情報でいいのか?問題」

僕は学生に課題提起をしている。
学生がネットで得た知識を過剰に信じる姿を見て、これはヤバイと思うから。

レポート課題に、予想通りネット情報を編集して提出してくる。
自動的に「検索→編集」というアクションをしてしまうパターンが出来上がっているのでは?と思ってしまう。 脳を経由しない、反射的な動作を疑いなく採用してる。

でも実のところ、僕たちが得ている情報の情報源はほぼ1つか2つに過ぎないようだ。
それをTV局や新聞紙が部分脚色して色付けし、配信するだけ。その二次的使用としてのインターネットが拡散手段。

インターネットの創設時の思想は「声の小さな人の味方」だったように記憶している。
少々anarchyな、カウンターカルチャーの匂いのする。

それがカッコ良かったんだよね。 
ところが今、僕たちが得ている情報はいつも同じ類の情報になってしまっている。

 だからその情報を信じすぎるのはなんだかとても危険な匂いがする。 だってネット上にあるのは仮想だから。
例えば、我々がイメージしている外国に実際に行った時、その落差に初めて気づく。全く違う世界が表出する。

そういえば昔、寺山修司が「書を捨てよ街へ出よう」と言っていたのを思い出した。
僕たちも、普段慣れ親しんだ狭い世界にじっとしていては、いけないと思うよ。



anarchy 無政府状態、無秩序、混乱を意味する

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