教育するということ

教育することが必要な理由

人の作られ方を見てゆくと、

小学校から中学、高校、大学と学校で様々な事を学びます。

特に医療者は、その過程で専門的な技術と知識を学ぶコースが

あります。

そして、一般には会社に入って社会人になります。

実は、現在ここで大変な事が起こっているのです。

少子化や近年の教育でぬくぬくと育った若者たちは、現実の厳しさに

直面し、大変な混乱をきたし、精神に変調を来したり、うつ病と診断されたり

と社会適応が出来ない状況が起こっています。

企業は、この状況に対応するために必死で職員を育成する必要性に迫られています。

家庭や学校で教育されていなかった、「しつけ」や「人としての原理原則」といった事を

様々な形で教えようとしています。

本来、家庭や学校で教えなければならなかったことを企業が教えているのです。

ですから、急速に企業の中で人事や教育の重要性が脚光を浴びています。

さて、視点を医療界に移してみましょう。

医療の世界でも、全く同様の事が起こっています。

私が受け持っているMBAコースのヘルスケア授業の中で、大病院の総婦長が披露してくれた

エピソードが参考になると思います。

医療界の破壊的な出来事

ある大病院での出来事です。

その病院の総婦長(私の教え子です)が胆嚢結石で自分の病院に入院した時の事。

夜間に吐き気が襲い、居てもたってもいられなくなり、ナースコールを押して

ナースを呼びました。

その間も、猛烈な吐き気からトイレまで行く事ができず、ゴミ箱に頭を突っ込み、嘔吐

を繰り返しました。

若手のナースがくるやいなや「先生を呼んで頂戴!」と訴えたところ、

きょとんとして「何科の先生が良いのでしょうか?、今夜間なので病棟には整形外科の

先生しかいないのですが?」

と答えたというのです。

総婦長は、いきり立ち「誰でも良いから、先生を呼んで頂戴!」と叫んだとの事。

このケースを話しながら、総婦長は「先生、恥ずかしいお話ですが、こんな事が私の

組織の中で起きているとは思いませんでした。本当に人としてのあり方に疑問を持ちます」

「それだけではありません。看護部長の会議を主催していますが、その会議に平然と欠席する

看護部長がいるのです。その看護部長の欠席理由は、私にはワークライフバランスを保つ

権利がある。その権利故に会議の時間は私的なスケジュールがあるので欠席をする

という理由だそうです。

看護部長としての責任意識の欠如も甚だしく、私は頭を抱えています」

非常に有名な大病院の話です。総婦長の話しを聞くとこのようなケースは枚挙にいとまがない

という事でした。

恐らく、このようなケースはあなたの病院でも頻繁にあるはずです。事の大小はあれ。

さて、あなたならこの状況をどのように変えていきますか?

小さな問題が、仲間の不信をうみ、次第に関係性が悪くなって行きます。

問題行動のある人に期待しなくなります。レッテルを張り始めます。

ますます、その人は阻害されていきます。人と人の間に隙間ができ始めます。

これが、大きな問題に発展して行くのです。

打ち出の小槌「急がば回れ」

透析の医療機関では、一般的に限られた人数の職員しかいないことが散見されます。

したがってここに1人の人が辞める辞めると他の職員の負荷が強くなったり

優秀な職員が辞めると業務に穴があき困るといったことが起きます。

しかし重要なのは現状を変化させながらより良い医療を作り上げたい、よりよいサービスを作り上

げたい、といったリーダーの思いそのものがまずは大事であるということなのです。

頭数の議論をすれば、看護師が何人、技師が何人、といった作業場の固定的な定数の

議論になります。

それではクオリティーの話はどこに行ってしまうのでしょう。

実はここ1番問題なのです。

高い基準を設けたら、人がやめてしまう。厳しい事言ったら人がやめてしまう。

これが怖いために、不適切な人であってもガマンしながら雇用し続ける。

こうすることによって、確実に質が低下していきます。しかしこれによって1番迷惑を

被るのは患者さんです。

医療の1番の欠点は、ミスを専門家が隠せることにあるといわれています。

つまり患者さんは表面的なことしか判りません。

ですから、人が辞めると患者さんは寂しい気持ちになります。寂しい気持ちになりますから、

場合によっては組織批判が起こります。

しかし、ここで引き下がってしまえば、元の木阿弥で、二度と質を上げようとする

組織行動は起こらないでしょう。

こう考えると、医療のクオリティをあげていくのはまさにリーダーの責任であるわけです。

そのためには質の伴わない人ガマンして雇い続けるのではなく、リーダーがアクションし

教育を提供し続けるということが非常に重要になります。

育てていく姿勢そのものが大事であるわけです。

しかも重要なのは今や、スキルの教育ではなく、

人としての教育、人格の教育こんなところに重点置きながらゆっくりとそして

着実に育てていくと

いう行動そのものが大事なのです。

時間はかかるのですがこれが着実な方法です。

そこには実は継続性あるシステムの構築というご褒美があります。

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