恥ずかしい人達の行動

人は自分の都合の良いように言葉の意味や概念を解釈しがちです。それが問題を根本的に解決できない原因になっていることが少なくありません。

抽象度の高い言葉というのは、非常に便利です。便利だから使う→人によって解釈が異なる→誤解が生まれる→成果が上がらない。このようなループを生み出します。

だから仕事が進まないという結果になってしまいます。

例えば、シナジー(相乗効果)という言葉があります。相乗効果は理屈としては簡単そうに見えます。そして、少しこの言葉を使うと頭が良さそうに見えます。

でも、意味も考えず、簡単に使う事は「単なる自己満足にすぎない」ということを判ってもらいたいと思います。

シナジーという言葉の例ですが、よく新聞で話題になる企業の合併。そう、理屈はお互いの得意分野を活用すると相乗効果が生まれ大変な成長が期待できるというのが最初の動機です。

つまり1+1=2ではなく3にも4にもなり得るという理屈です。

理論的にはとても素敵ですね。しかし、これは期待以外の何ものではなく、現実的に多くの場合はうまく行きません。

うまく行っているという話は表面的な物でその実ほとんどはうまく行っていません。

中身の無い人と思われる恥ずかしさ

もともとの発想や狙いが相乗効果にあったのではなく、合併相手の資産や、ビジネスモデルが狙いということも散見されます。

何が言いたいのかと言いますと、使うのは簡単な言葉ですがその実現は困難で、成功している例がない。こうなりますと、その言葉を安易に使うと、その人の意見そのものも非常に薄っぺらな人と解釈されます。

本人はカッコいいと思っていますが、実は良く判っていない。こんな人をいじるの結構簡単です。「ところでシナジーって、具体的に何?」と聞けば良いのです。

「シナジーは相乗効果のことだよ」と答えるでしょう。

「いや、その相乗効果というのは具体的にどんなこと?」

これを繰り返してゆくと、実は具体的には判っていない事が判ってきます。

だから、この言葉を使っている人は、横文字ばかりで、カッコつけてる割に、たいした事の無い人中身の無い人という印象をもたれてしまいます。

ここは気をつけなければならないところです。

Win‐WINの本当の意味とは?

もう一つ注意する言葉があります。医療人もよく使う「Win‐WIN」という言葉。今、日本でもっとも誤解、誤用、乱用されている言葉ではないかと私は思っています。単に金銭的、利権的な関係といった非常に表面的な感覚で安易に意味を捉えている人が多いのです。

「あなたが儲かり、私が儲かるので、両者ハッピー」何かこんな安逸なイメージがありますね。

しかし、この言葉を世の中に広げたのは、「7つの習慣」の著者のs.コヴィー博士です。

コヴィー博士が言っているWIN-WINの本質は利益以上の社会的な意義や価値に基づいた行動のことを言っています。

このまま本当の意味を知らないで表面的な思い込みで使っていると、大きな間違いに陥るのではないかと、私は心配です。先ほど同様に「恥ずかしい人」になってしまいますので要注意です。

医療者と患者さんの関係で考えてみましょう。医療は医療者-患者の協働作業によって成り立つものですが、その協働作業が実際にはスムーズに機能しているといえないところがあります。

それは、医療者がもっぱら個々の技術論と知識だけで患者さんに対応しようとしているからではないでしょうか。

たとえ技術と知識はあっても、提供する組織や人に思いやり、苦痛をいたわる気持ち、また「この患者さんにどんな人生を送ってもらうのが一番いいのか」といった医療人の人格総体から発する深く、また高いレベルでの対応ができなければ、決して患者さんが満足する質の高い医療(チーム医療)にはならないのです。

そうではなく、患者さん一人ひとりに謙虚に、忍耐強く対応し、そして思いやり、その人に最適な医療を見つけて提供すること。これこそが本当の「Win‐Win」の関係であり、患者満足の実現だけでなく、医療人がやりがいなど満足感・充実感を持てる医療を実現できるはずです。

こんな事を考えています。

恥ずかしい人達の行動」への4件のフィードバック

  1. 悩み多きトレーナー

    とある企業の社員教育を担当している者です。
    初めて櫻堂さんのSNSにアクセスしますが、いつも考えさせられる内容が多く、大変興味深く拝見しています。
    先日、インターンシップでアルバイトをしている女子学生とのやり取りでのエピソードを一つ。
    ある日、彼女との面談の中で「将来、どうなっていたい?」と質問すると、彼女は「出来る女になりたい❤」と目をキラキラさせながら話して来ました。具体的に聞き進めてみると、勉強をして、認定資格を取って、履歴書をびっしりと埋める事が彼女の目標だと言う。それが「出来る女」だと。(はぁ〜)

    弁護士や医者や教師になりたいなら理解できる。しかし「出来る女」になりたいとはどういう事なのか。
    「出来る」か「出来ない」は周りが判断する事で、自分で立てる目標ではないと思うのですが。。。
    履歴書に資格をびっしり埋めてきながらも実務力のない人より、常識的な人間力がある人の方が余程魅力的で「出来る女」に近いと思う。
    私は常日頃、若い世代に求める事の一つに「全てをつなげて考える力」がある。学び、仕事、利益、顧客、組織。そして自分自身。
    その思考力を鍛え実行する事で、学ぶ力と仕事力と人間力、そして思いやりの心が自ずと育まれるのだと考えている。
    しかし、これが難しい。何故なら「センス」が必要になるから。
    「出来る」とは正に「センスを鍛えられる」を指す様に思える(正しいかどうかは分からないが)。
    では「出来る女」を目指す「センス」があるとは到底思えない彼女をどう育成するか。もしくはタスクワーカーとして採用するか、はたまた別の道で「出来る女」を夢見てもらうか。
    キラキラ輝かせた瞳を思い出すと、先ずは「中身の無い人間と思われる恥ずかしさ」に対する気づきを与えるべきか。。。
    いやはや、前途多難。悩みどころです。

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    1. 齊藤まさ子

      全く同感です!感動致しています!
      履歴書を資格で満杯に出来ましない私なのですが、・・
      先生のメッセ-ジに救われます。

      齊藤まさ子

      返信
      1. 櫻堂 渉 投稿作成者

        コメントありがとうございます。
        少しでもお役に立てて嬉しく思います。

        返信

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